
~製糸業のシンボルの一つ繭倉庫~
製糸工場の原料繭は購入してから繰糸までの間、貯蔵が必要です。機械製糸発足の当初は、繭は居宅の2階か土蔵に置くのが普通でした。しかし、従来の土蔵は換気が悪くカビが生じる心配がありました。また、明治18年に尾澤金左衛門宅で火災が起こり、繭を焼失し大損害を被ったことから、繭専門の倉庫を建築する動きが高まりました。昭和初年には市内合計105棟の繭倉庫が存在し、白壁土蔵造りの4・5層から6層の建物は幾百もの煙突と共にシルク岡谷の象徴となっていました。
金上繭倉庫は、旧サスダイ中村甫助製糸所の繭倉であった建物で、卸業の金上が昭和32年に敷地ごと譲り受けて移転。現在も倉庫として利用しています。
間口8間、奥行5間の3階建て。白漆喰塗り仕上げの木骨土蔵造りで、切妻造りの大屋根には当初、諏訪地方特産の「鉄平石」が葺かれていました。現在は鉄板葺きに改修されています。広い間口に設けられた入口の土戸は大きく、土蔵の延長としての特徴を示しています。繭の自然乾燥に適した多窓式や、3階建ての規模から明治前期の建設と推定され、繭倉庫草創期の古い形式が見て取れます。各窓には鉄の雨戸がつけられていましたが、太平洋戦争中に供出、現在は軒と木柵が独特の表情を作っています。
外観のみ見学可
道路からの見学となりますので気をつけてご覧ください。